未固定の磁石を利用したソフビ人形の特許について

解説

SNSで話題になっていた「未固定の磁石を利用したソフビ人形の特許」について、特許出願者の方が放棄を宣言されました(2023年9月17日)。ミニチュア製作者として対岸の火事ではないなと思い、注目していた案件でした。Yahoo!ニュースにも掲載されていたので、ご存知の方も多いかもしれません。

ソフビ特許に関する炎上事件について[追記:権利放棄により解決しました](栗原潔) - エキスパート - Yahoo!ニュース
知財関係の炎上事件が続きます。今回は商標ではなく、ソフビ人形のパーツ取り付け手法の特許に関するものです。問題の特許は7336810号です。権利者は個人の方です。出願日は2022年12月18日、登録日は

個人的な備忘録も兼ねて記事にしておきます。

ソフビとは?

詳しい人は「ソフビ」と聞いて、すぐにイメージできるかと思いますが、「ソフビ」とは「ソフトビニール」の略です。「軟質のビニール樹脂」を指す言葉です。ゴムのような柔らかい素材で、身近な軟質のビニール樹脂の製品といえば、電源コードの被膜やデスクマットを想像するとわかりやすいかもしれません。

もともとは材質を指す言葉なのですが、ソフトビニールで作られた人形やフィギュアも含めて「ソフビ」と呼ばれることも多いです。一般の方がイメージしやすいソフビの人形といえば『キユーピー人形』でしょうか。

中身が空洞(いわゆる中空)になっていて、柔らかいことが特徴です。人によってはウルトラマンやアンパンマンなどの人形をイメージするかもしれません。

今回の特許の内容

今回の特許の内容をざっくりと説明すると、密閉された樹脂製の人形の中に未固定の磁石を入れて、その磁石と吸着する材質でできたパーツを人形の外側から合わせて、自由に動かして遊べるようにする…というものになります。

実際に見てもらうとわかりやすいので、動画にしてみました。

特許が公開されて騒然に

この特許が出願されたのは2022年12月18日です。そして、この特許が公開(発表)されたのが2023年7月13日です。ソフビを製作されている方々には寝耳に水の事態で、SNSは騒然となりました。

先行事例あれこれ

なぜSNSが騒然になったかといえば、このような磁石とソフビ人形の使い方は、以前から行われていた既知の遊び方だったからです。私も子供の頃にキン肉マンのソフビ人形のなかに磁石を放り込んで、劇中のマグネットパワーを再現するような遊びもしていましたし、私の作ったミニチュアのなかにも同じような仕組みを使ったものも過去にはあります。

出願日の2022年12月18日以前のXの投稿をいくつか紹介します。

(厳密に言えば、これはそもそもキャラクター人形でもないし、たぶん樹脂製品でもないですし、密閉された空間でもないので、例の特許には抵触しませんが…)工作の例として。弦楽器の内側に未固定の磁石を仕込んで、ピックアップ(弦の振動を電気信号に変換する装置)の位置を自由に変えて、音色の調整をできるようにされています。

上記はプラモデルの例ですが、武器の銃のなかに未固定の磁石を入れて、任意の位置で武器を持てるようにされています。

こちらはドールの例。頭のなかに磁石を固定せずに入れて、猫耳パーツを吸着させて位置や角度などを調整できるようにされています。

フィギュアの例。フィギュアの頭に未固定のマグネットを仕込むことによって、狐の仮面や帽子の位置・角度を自由に変えられる仕組みと、衣服の自由度を上げる利用方法。

プラモデルの例。モノアイ(単眼)を動かすギミック。

こちらもプラモデルの例。関節の可動域を上げる改造に。

上記は2014年の投稿なので約10年前。この改造はドールハウスの床や壁に応用できそうですし、すでに実施されている方も多いかも…。

実際にヴィレッジヴァンガードなどで販売されたジブリ作品の人形。パパンダ(父)のなかの磁石は固定されていないので、好きな位置でコパンダ(子)をくっつけることができます。

このような使い方が特許として取得されてしまったので、今後の創作や販売に大きな影響が出てしまうのでは?…とソフビ作家さん達を中心に不安や動揺が広がりました。

異議申立や無効審判はハードルが高い

「このような特許を取消させたいなら異議申立や無効審判をすればいいじゃないか。」…という意見もSNSではよく見かけました。しかしながら、費用や労力のハードルが高いので、大きな企業はともかく、個人では荷が重いのが現実でしょう。知財タイムズの記事を引用させて頂くと…。

費用としては特許無効審判の請求から審決までで、100万円~200万円程かかることが多いです。またこの審決に対して取消訴訟を提起すると、さらに100万円以上の費用が必要です(300万以上かかることも珍しくありません)。

https://tokkyo-lab.com/co/mukoushinpan

300万円以上…。

また特許無効審判は、審決までに1年近い期間を要することが多いです。さらに審決に対して取消訴訟を提起すると、追加で半年~1年以上の時間を要します。

https://tokkyo-lab.com/co/mukoushinpan

期間も年単位…。

【追記】
専門の方から、ありがたいことに有益なコメントを頂きました。「付与後情報提供」という無料の手段もあるようです。@benrishi_juken様、ありがとうございます!

個人情報の収集

私見として最もまずい対応ではないかと危惧したのが、個人情報の収集宣言です。2023年9月15日に、該当特許の出願者のSNS上で以下のような内容が発表されました。

  1. 申請して許諾を得れば特許使用料は徴収しない
  2. 申請には「活動名」「氏名」「住所」「電話番号」「内容(写真付き)」が必要
  3. 内容によっては許諾不可
  4. 特許をそのまま使う場合は無償対象外

ざっくりと要約しましたが、これが大炎上を引き起こすことになります。

特許は放棄

冒頭でも記述したように、出願者は特許を放棄する宣言をされました。(特許を保持したまま、大勢が納得する道もあったような気もしますが、それだと特許の維持費用の面で難しいのも悩ましいでしょうか…。)

個人的に感じた教訓は、なにかアイデアがあった場合は、証拠として日付の残るようなSNS(できれば複数)などに投稿して保険をかけておくべきだと思いました。今回の出願者は悪意なく特許を出願されたようですが、制度を悪用しようとする人間はいつ現れるかはわかりません。

【追記1】
SNSでは経緯を誤解されているような方(ベテラン作家陣が新進気鋭の新人作家に圧力をかけて潰した等)も多いので追記。この特許が発覚した当初は騒然となったものの大炎上という訳ではなかったように思います。むしろ穏便にうまい着地点をみんなで模索していた印象です。決定的に炎上したのは、記事中にもあるように利用に関して恣意的に運用できるような許諾条件と個人情報の要求だと思います。

【追記2】
この特許を放棄したとしても、別の誰かが同じ特許で再取得に動くのでは?…と懸念されている方もいらっしゃいますが、もうこの特許で出願しても取得はできない(拒絶される)システムになっています。放棄が実施されると、今回の技法は界隈のスタンダードになることと同義です。

【追記3】
金属を人形本体に入れて、外部パーツを磁石にすればよいのでは?…という意見も拝見しました。これで当該の特許が回避できるかは議論の余地があるかもしれませんが、外部パーツを磁石にすると誤飲の際のリスクが跳ね上がるので、作家さんたちは誤飲が起きにくい人形本体に磁石を埋め込みたいのではないかと推測します。

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